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ちょっと待って!そのレッスン「信じる」に値するのですか?


「信じる」

私は信じるということはとても崇高なことだと考えています。

アメリカの教育、研究機関で10年も科学者として生活してきた私にとっては、ものごとを鵜呑みにして簡単に信じこんでしまうということがあり得ないこととなりました。

アメリカの大学の大学院において、「リサーチ・メソード」と「論理展開の仕方」なるクラスが有りました。その授業において、「学術論文を読む際も必ず懐疑的になれ」という教えがありました。学術論文というのは、もちろん単なる出版社が出版している雑誌の記事とは違う性質のもので、様々な学術分野に様々な学会誌たるものが存在し、編集委員的な高名な博士様が掲載するに値する論文を選択し掲載するという類のものです。

その研究の結果を信じるかどうか、それどころか、その論文を読むか読まないかの評価基準は、

①その研究自体の前提要素や制限要素が研究対象に対して正しく定義されているかどうか?

②統計的な手法が研究対象に対して正しい手法が使用されているかどうか?

の2つです。

もし、この2つの要素のうちの1つに、少しでも正しくない要素があれば、その論文は読むに値しないという事なのです。

つまり、どれだけ結果とかまとめのセクションに魅力的なことが書いてあっても、その研究の行い方自体が正しくなければ、その結果やまとめが真実になるわけがないということなのです。

そしてそれは紛れもない真実なのです。

つまり、何かを信じる際に、本来はそれなりの根拠が存在すべきであり、その根拠は正しく定義された前提のもとに、正しい論理展開がなされていなければならないということなのです。

さて、多くのゴルファーの皆さんには、何でもかんでも鵜呑みにして信じてしまう癖があります。

レッスンを受講されても、極めてナイーブで、インストラクターが言うことであれば、何でもかんでも鵜呑みにしてしまうのです。

レッスン書に書いてあれば全てが正しいと信じ、レッスン記事に書いてあれば全てが正しいと信じてしまうのです。それだけでなく、仲間内でゴルフが上手いと評判のあの人の言葉も、ありがたく鵜呑みにしてしまうのです。

(時々レッスンの時に「シングルの方にドクターと違うことを言われたのですが、どっちが正しいのですか?」という質問をされることがあります。

それもレッスン書にいくらでも書いてあるようなことなのです。

「がっかり」ですよね。

確かにお仲間の中ではそのシングルさんは高いところにいらっしゃる手の届かないキラキラと煌くお星様なのでしょうが、専門家の意見と、受け売りの社交辞令とを同じレベルで考えているということですから、いろいろと迷うわけですよね。

まあ、ちゃんと質問にはお答えしますけどね・・・)

例えば、上級者は全てスウィング・プレーンが同じだという解説があるとしましょう。それを検証もせずに信じてしまうゴルファーが少なくありません。もちろん、言っていることをサポートしている写真だけを羅列して「皆、同じでしょ」と書かれれば、「そうだな」と信じてしまうのも理解できないではないですが。

そして、例外的存在に対しては、単純に「特別だから」という事で済ませてしまうのです。くさいものには蓋をしろ以外のなにものでもないのです。

PGAツアー・プロのジム・フューリックはそれほど目立つ選手ではありませんが、PGAツアーでも長年上位に位置し続け、メジャーにも優勝したことがある優秀なゴルファーです。しかし、メジャーに勝ったにもかかわらず、直後のゴルフ雑誌では彼のスウィング分析をもてはやさなかったのです。

推測するに、彼のスウィングが巷で言われている良いスウィングとはかけ離れたパターンのスウィングだからなのでしょう。

ババ・ワトソンやマット・クーチャーも、極めてレベルの高い選手ですが、ゴルフレッスンで言うところの『皆がやってるスウィングプレーン』とは明らかに異なる動きでショットをしています。

これも例外ですかね?他にも当てはまらない優秀なプレーヤーはいくらでも居るのですが・・・

例外に対して口をつぐむということは、そもそも説明責任を果たしていないということなのですがねぇ・・・

「理論」という限り、体系的に説明をできなければならないのです。

つまり、どんな屁理屈、難癖を付けられても、論理的にその難癖を却下できるように武装するわけです。

では、どう考えるかというと、巷で言われている良いスウィングの要素ではないことが、大切な要素として存在するはずであると考えるのです。

まあ、実際にはそんな考え方は端からしないのが科学なのですがね・・・

とっかかりの部分からの論理展開が違うのです。

これに関しては、他の読み物で説明しているので、興味のある方はどうぞお読みください。

吟味もせずに、毎年雨後の竹の子のように現れる『ゴルフの新理論』を鵜呑みにして、どうでもいい薀蓄を蓄積して、自分自身のゴルフのパフォーマンスをおもちゃにしているのであれば、事前に信じるに値するのかをしっかり考えることに時間を割いた方がずっと良いのですよ。

なぜなら、杜撰な情報の被害者はいつも一般のゴルファーの皆さんなのですから。

既存のレッスンの『理論』は、そもそも『理論』と呼んではいけないレベルの杜撰なものなのです。

このHPの読み物の中で使っている例は、誰でも簡単に、つまり、気づかせてもらえさえすれば、わかるレベルのものです。

実際には、もっと専門的なものや、もっと理解が困難なものがごろごろしているのですが、単純に理解できるものだけでも、履いて捨てるほどあるのです。

もちろん、そうしたものをレッスン書として平然と『理論』として発表するのも大きな問題ですが、少し考えれば、誰でもそのおかしさに気づけるようなことにさえ気づかず、鵜呑みにしてしまうゴルファーにも大きな責任が存在するのだということをしっかり認識してほしいのです。

科学的に考えれば、既存レッスンで大切だと言われていることではないことが、間違いなく大切だと言わざるを得ない根拠があるのです。

既存レッスンでは全く認識されていない要素が「正しい」ゴルフ・スウィングの必須要素として存在するということは、認識を誤って日夜努力をしているゴルファーはどう頑張っても、上達はできないということなのです。

もちろん、科学者として、事実を誤って伝えることそのものに非常に抵抗を感じるのです。抵抗を感じるどころか、もしそれが、学術界であれば、あなたのキャリアはそこで終わりです。

まあ、世界が変われば状況は変わるものですが、だからといってゴルフ界のように簡単に証明できる嘘を常識だと伝え続け、人の受け売りを恰も自分の考え、理論であるかのように吹聴し『理論家』と呼ばれて喜んでいる輩がいたりということが、実際ゴルファーにとって決して良いことではないのです。

もし、巷で言われているようなバック・スウィングの上げ方が本当にゴルフが上達するための必須要素だとしたら、(前述の)彼らがメジャーで優勝などできるわけが無いのです(それとも、メジャーに勝つのも、PGAの年間最優秀選手に相当するFedExカップの優勝を手にしたのも偶然で例外なのでしょうか?)

つまり、正しい解釈の仕方は、その論理展開は明らかに誤りだということなのです。即ち、信じるに値しないということなのです。

そして、その誤った論理展開の直接の被害者は、他ならぬあなた方ゴルファーなのです。

仕事や、日常生活でさえ、もっともっと懐疑的であるだろうに、ゴルフになると何故か多くの方が突然ナイーブな赤ん坊のようになってしまうのです。

信じるということは、そんなに簡単なことではないはずなのです。レッスン書にしろ、レッスン記事にしろ、懐疑的な目を持って熟読すると、理に叶わない、或いは辻褄の合わないことがゴルフ・レッスン界には溢れていることにお気づきになるはずです。

上でも触れましたが、研究者としての第一歩を踏み出す前に、リサーチのエキスパートの教授から、「学会誌に掲載されている論文を読むときでさえ懐疑的になれ」と、じっくり教育されます。

なぜなら、そうすることで何を信じるべきか、そして、その判断を正しく下せることこそが、自分にとって有意義なこととそうでないことを取捨選択できることに他ならないのです。

つまりは、上達への近道を自ら選択できるということなのです。

自分自身が何を信じるべきかを、自分自身が正しく取捨選択をできる能力をつけなくてはあなたは常に似非常識に振り回され続けることになるのです。

どこかの国のように、政府が実際の国情とは異なった「我が国は地上の楽園」であるという情報操作をする。そして、国民はそれを信じ自分は「地上の楽園」に住んでいるのだと信じて疑わないで、どんなに苦しくとも、他の国はもっと過酷な状況なのだと考えるのです。しかし、一たび現実が信じていたことと異なるということを知ってしまったとたんに、愕然とするのです。そして、現実に向かって改善方向へひた走ろうとするのです。

私は、ゴルファーが何を信じるかによって、ゴルフが窮屈で、苦しく、困難で、自虐的にならざるを得ないほど、結果を引き出せないものにもなり得るし、それこそゴミ箱にゴミを放るくらい無意識にボールをターゲットに打てるようになり、本質的なゴルフのゲームを楽しめるようにもなるのだと考えています。

実際、あなたが信じて疑わずに日々努力をしている「スウィング習得」のための要素が、ゴルフ以外の動きやスポーツに当てはめて考えたときにも成り立つのかどうかを考えることでも、かなりの部分で何を信じるべきなのかの判断を正しくすることはできるはずです。

「ゴルフだけは別物だから」という言葉に惑わされて、不条理を不条理と考えず、無理なことを何とかやろうとしているのです。

そして、それがためにできていないにもかかわらず、自分の能力が無いからということで納得をしようとしているのではないでしょうか?

全てのゴルファーがPGAプレーヤーのレベルまで登りつめる事ができるとは思いませんが、正しい方法論を持って、精進すれば片手シングル位にはなれると考えています。

少なくとも、永年ゴルフの楽しさが、単にいい「当たり」をすることや「飛ぶ」ということだという誤解をしたまま努力し続けるということは無くなるはずなのです。

全ての人間はそれなりに人間としての能力を保持しているのですから、人間として「得意な」方法論を積極的に活用しゴルフに取り組めば、かなりのレベルには到達できるのです。

そのために、巷に溢れている情報から自分にとって有意義なものを正しく取捨選択をして、それを自分のものとして正しく行うということが大切なのです。

鵜呑みにした形とその説明文をどれだけ記憶して思い出しながら上達しようと思っても、何の効果もないどころか、どんどん本質から離れより複雑な迷路の中に入り込むだけなのです。

練習も、レッスンの受講もあなた自身のためにするのです。

人の受け売りを鵜呑みにして、試してみること、犠牲者になるためにすることではないのです。

普通に考えて、辻褄が合わないと感じたら、質問をしてください。

自分が納得ができるまで、インストラクターに質問をすべきなのです。

そうすることが、あなた自身のゴルフ人生を余計な苦労から守る手段の一つなのです。

あなたのゴルフを無駄な努力から守る大きな力は、あなた自身が正しい情報を取捨選択できる能力を持つことです。

「知は力なり」なのです。

もし、これまでにいろいろなスポーツを経験してきているゴルファーであるならば、それら多くのスポーツと照らし合わせて矛盾が無いか考えてみてください。

もし、あなたが、余りこれまでにスポーツの経験が無ければ、バケツの水を真直ぐ撒くときに自分自身がどうやって動くのかと比較をして考えてみてください。

もし、多きな差が存在するのでしたら、あなたはきっとその方法論を選択しない方が身のためなのです。

もしその助言を、あなたよりも明らかに上手いゴルファーが言ったことだとしてもです。

何故なら、ゴルフも他の人間の様々な動きと同様、人間が行うことなのですから、根本のところで大きな違いが存在するわけがないのです。

あなた自身はあなた自身が守るしかないのです。

何でもかんでも鵜呑みにして痛い目に会うのはあなたなのですから。

© Copyright Koichiro Fujimoto, Ph.D. 2000-2015. All rights reserved.