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スウィングを替えるとは習慣を替えること

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既存のゴルフ・レッスンを読むと、いとも簡単にスウィングを替えられるように書いてある。それも、写真を掲載し、写真の形を説明しそれで終わりである。

もちろん、掲載された写真に対する説明は間違っていない。そして、素直なゴルファーである読者は「解った!」と叫ぶのである。なぜなら、写真を見せられ、その形を説明され、それが解れば出来ると信じているからである。

写真を見ることそのものが本質的には悪いとは思っていない。しかし、その写真で表された現象が、そもそも問題解決に寄与するのかどうかの判断基準も持たずに何でもかんでも鵜呑みにして取り入れようとすること自体に問題が在るといっているのである。

問題解決に寄与しようが寄与しなかろうが写真の説明が解れば良いという低俗なものではないのである。

人間の動作の場合、寄与しないものは全て害なのである。それを書く方も読む方も解っていない。つまり、動作は脳から神経系を通して体に指令を送っていることなのである。と言うことは、何も寄与しないことを脳から体に指令を送ること自体が、本来行われることに対しては「邪魔者」になるのである。

そして、その「邪魔者」ばかりを多く取り込んだ末に混沌としているゴルファーが余りにも多い。それで上手く行かないから継続して何でもかんでも取り込んでゆく。それも、出来るか出来ないか。有効か有害かの判断もせずに取り入れて行くのである。いくら優れた機能を持った人間の脳でさえもフォーカスを失ってしまうことは否めない。その結果より混沌としたゴルファーの誕生である。

こうした、レッスン記事に対する「鵜呑み」、「無作為な情報摂取」はゴルファーの顕著な習慣である。

そもそも、比較的単純に司れるはずの動作を、写真として解体し、分析し、その形を作ることで上達すると信じていることが非常に的外れの考え方であると言うことは、私のHPのほかのページを読んでいただければ明確に理解が出来るはずである。それそのものが習慣なのである。

どれだけ、正しいことをしようと頭で考えても、どれだけ打ち方だけを考えて練習しようとも、実際のショットに関しては、既存の習慣が大きな影響を与えるのである。

どういうことか一つの例を使って説明しよう。

練習場で正しく考え、ショットは打つ前に全てやろうとしている感覚を作り、それに自分が素直に従うことと考え、しっかりプレ・ショット・ルーティンでイメージを作って練習をしている。そこそこ、できるようになってきた。

そして迎えた本番。

打ち上げのパー4のセカンド・ショット。比較的長いクラブを使わないとグリーンに届かない。右サイドはOBゾーン。球は上げたいし、右は嫌。それでも打ち上げだから目線は自ずと高くなる。ミスをしやすい状況だからきちんとやろうとする。

それでも、練習ではプレ・ショット・ルーティンでしっかり事前の感覚を作ることに専念しているから、もちろん、イメージは体に伝えた。しかし、しかしである。「ミスをしやすいからきちんとやりたい」という発想が、既存の習慣である、セット・アップでちゃんとしてします、ピタッと止まってしまう自分を作り出してしまう。

結果として折角作ったイメージは霧散。体は何をやって良いかのイメージを無くし、打ち上げだから振り上げる、体は開き、左上がりのライにも係わらずボールは右へすっぽ抜けてOBゾーンへ、と言う結果になるのである。

そして話はここで終わらない。

さあ、大きなミスを犯してしまった。

殆んどの場合、「何が悪かったのだろう?」と真剣に分析を始める。

かなり練習でプレ・ショット・ルーティンの重要さを理解して取り組んでいるゴルファーでも、「きちんとしたい」と考えた自分が、セット・アップで止まってしまう習慣がミスを引き起こしたことを知らないから、「きちんとプレ・ショット・ルーティンでイメージを作ったのに・・・・・おかしい」と悩み始める。

つまり、習慣とは「気づかずにやってしまっていること」と言い換えても良い。

形や角度を考える暇が有るならば、自分自身の悪習慣を知ることにフォーカスし、そのときの感覚を知ることに時間を使うことが大切なのであろう。

トーナメントの映像をみていると、素振りも終え、プレ・ショット・ルーティンを行い、イメージを確立してセット・アップに入り、今にもスウィングを始めそうに見えた瞬間にセット・アップをはずす映像をご覧になったことがおありでしょう。

あれこそが、イメージが切れてしまった、或いは、しっくり来ない感じを感じたときの行動なのです。つまり、プレ・ショット・ルーティンをやれば良い。イメージを一旦作ればよいと言うことではなくて、全ての事前の動作がショットとして行おうとしていることにつなっがていることが大切なのだと言うことなのです。

それは知識で処理することではなく、ロジックで処理することでもなく、あくまでも、日頃からの習慣として「事前に感じ、感じ続ける」ことを行っているから判断できる質のものなのです。

つまり、練習で習慣としていないことは本番でも現れないと言うことなのです。

と言うことは、(ある部分の形を変えることが動きの質を替えることにはならないので論外ですが)練習で一所懸命スウィングを替える努力をしたからといって、それが実際のショットに結びつくかどうかは、結局のところ、スウィングを替えることが、習慣を替えることになってなければならないのです。

つまり動きも含めて、狙っている感じ、出来ている感じ、そしてそれを保持したままショットを行えている自分自身を感じ続けられている習慣として替えられていなければ効果を期待できないと言うことなのです。更に言えば、その習慣をかなり突き詰めて練習し、実行したとしても、失敗が起こるということを認識し、失敗したときに部分部分の原因を探るのではなく、新たなショットに対し、正しい感覚をより明確に作り出し、それをより明確に保持したまま実行できている自分を表現することにフォーカスを置かなければならないのです。

実際のラウンドでは、これに加えて、正しい状況判断と、望むショットの可否の判断、可であればそのイメージを明確にするプロセスの実施と保持したままの実行、否であれば新たなショットの選択に対し正しいイメージの確立をするという習慣が必要となるのです。

単に、部分の形がわかることなど、実際のスウィングやショットの遂行には殆んど清しない要素のなのです。

スウィングを替えるということは、まさに習慣を替えるということだということを明確に認識しなければ、似通った状況での似通ったミスは常に引き起こされるのです。

 

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